Marie Mercié
マリー・メルシエ(帽子)
シックなことで知られるパリ6区、サン・シュルピス通り23番地のマリー・メルシエのブティックはガラス越しに覗いても、ドキッとするほど刺激的です。 ピンクのシルクハット、クッションくらいありそうな大きなビロードのベレー、コーヒーカップと読みかけの本が付いた黒いキャプリーヌ、アビシニアン、黒猫、北欧伝説のエルフ、食虫植物、サングラスをかけてすまし顔のストローハット。一見過激!と思われる作品も被ってみると実にシック。
なによりも上品なのです。限りなく膨らむ想像の世界を知的にまとめる見事さはマリー・メルシエの腕のみせどころ。「帽子に新しい表現を与えた」と絶賛される所以です。フランスの若いクリエーターたちに影響を与え続けるマリー・ メルシエ。
パリにいらしたら是非お立ち寄りください。サン・シュルピス教会を右手に見ながら、同じ名前の通りに沿って、サン・ローラン リヴゴーシュやラクロワのブティックからも近いところです。
Werlé
ヴェルレ(帽子)
良質のラパン(兎毛)から手間と時間をかけて作る最高品質のフェルト。鮫の皮で一つ一つ仕上げたビロードのような手触りと美しい発色は芸術品のレベルといわれます。この品質を守るためには熟練した多くの職人たちの手を必要とします。その職人の数がフランスでも少なくなり、経済的な負担も無視できません。私たちが大好きだったヴェルレ社もその負担に耐えられなくなり、2005年、1世紀にわたる活動の拠点である工房を閉め、他社に吸収合併されることになりました。パリ3区といえばサン・ルイ島やフォブール・サントノレに先駆けて、貴族文化が花開いたところ。腕の良い職人を抱えた貴族の館が壮麗な姿を競ったところでもあります。「よき時代」のパリ文化の継承者であり、新しい時代の創設者でもあると期待していただけに、ヴェルレ社がパリから消えるのはとても残念です。でもこれも現実なのです。
Gilles François
ジル・フランソワ(帽子)
メリー・スチュアートを見事に演じきった女優のイザベル・アジャーニ、プリンセス・ド・グレースなどお洒落にうるさいセレブリティたちのこころを捉えた、それがジル・フランソワの帽子です。
無口で万事控えめといわれるジルは帽子を作るときだけ雄弁になります。ジルはシルクやウール、綿、麻、オーガンジー、タフタ、皮革、毛皮など様々な素材に自由なイメージを託して、独特の世界を作り上げます。
パリ・オートクチュールやモード誌を飾るほどファッショナブルなのに、くつろいだ日常にピッタリ。手元に置いて、いつでもどこでも、何度でも被りたくなる、フェミニンだけどクール、かわいいのに成熟した大人の魅力も。ジルのマジックを十分にお楽しみください。
Legeron
レジュロン(コサージュ)
パリのオートクチュールのメゾンのほとんどがレジュロンのお得意様といっても過言ではありません。吉村葉子さんがレジュロンのことを、その著書<パリの職人>(角川書店2006年)の中で次のように述べています。
「クリスチャン・ディオールなら専属のデザイナーのジョン・ガリアーノがコレクションのために選んだ生地を、レジュロンに持ち込む。パリ・コレでもとくに、世界最高レベルを競うオートクチュールだから、ショーの当日まで持ち込まれている生地も造花のデザインも極秘。工房が緊張の頂点に達するのもその時期である」と。
レジュロンは創業1727年。パリで最も古い造花の老舗です。
社長は4代目のブルーノ レジュロン。
ブルーノは依頼者であるデザイナーの意図するところを独特の感性でとらえ、卓越した技量で実現しようと努めます。造花はデザイナーの作品の一部になりつつ、作品全体に豊か表情を与えることが要求されるからです。
もしブルーノが依頼者の意図を裏切るとしたら? それは彼の作品が依頼者の想像を超えて美しいこと、そう思います。
1998年、「日本におけるフランス年」の公式カタログの表紙を飾ったブルーノ レジュロン。
その作品のいくつかをMCLのショールルーム「Europe House 職人館」でご覧いただくことができます。
尚、クリスチャン ディオール、ウンガロ、ラクロワ、ジヴァンシーなど世界的に有名な
オートクチュールのための作品をご覧になりたい方はレジュロンのホームぺージをご覧
ください。
http://www.legeron.com
Guillet
ギィエ (コサージュ)
ジャン=ジャック・アノー監督の映画「熊」の中に子熊が花畑を転がるシーンがありました。
ロケのように見えますが、あのヒースは全部ギィエが作ったものだ
そうです。007のゴールドフィンガー(ショーン・コネリー、1964年)の一場面。ピストルから飛び出す蘭の花もギィエの作品です。
創業1896年。ギィエ社もレジュロンに並ぶ造花の老舗です。国の式典を飾る造花やオペラ座の小道具。カルティエや、ルイ・ヴィトンのウィンドー・デイスプレー。創業以来ギィエ社は、フランスの装飾文化や歴史と深く係わってきました。
モードや映画の世界に活動の範囲を広げたのは4代目のマダム マルセル・ギィエ。そのコサージュはニナ・リッチやクリスチャン・ディオール、あるいはソニア・リキエルなど才能あるクチュリエ達に使われています。
2002年にフランス文化通信大臣より名工《Maître d'Art》の称号を与えられ、マダム ギィエは名実共に造花服飾品製造分野における第一人者になりました。
Agnelle
アニェル(手袋)
2007年9月、パリの高級デパートのギャラリー・ラファイエットで「La France vit plus fort」という企画展が開催されました。今までと違う角度からフランスの新しいエネルギーを見つけ出そうという試みでした。
中でも人目をひいたのが、アニェル社の手袋製作のデモンストレーションです。ふっくらした厚みをもち、一点のくもりもなく染め上げられた革は、熟練した職人の手に触れ、より柔らかく、より強靭になり、やがて人の皮膚に似た感触を持つようになります。新しいフランスを表現するためにも職人たちの技術は欠かせない。若く美しい社長ソフィー・グレゴワールと職人たちの自信に満ちた動きがとても新鮮に見えました。
アニェル社は1937年、ソフィーの曽祖父に当たるジョセフ・プーリシュがサン・ジュニアンにある自宅の敷地内に手袋製造の工房を作ったのが始まりです。やがてこの町一番の近代建築の工場を建て、月産平均12,000組の手袋を主としてアメリカに輸出するようになりました。
1960年代になると、社会の仕組みや消費の形態が変わり、伝統的な工房スタイルの企業は経営が難しくなりました。いくつかあった同業他社も次第に姿を消していきました。アニェル社も例外ではなかったようです。そして1999年、手袋業界大手のアメリカ企業に買収されることになりました。
アニェル社の製品が魅力を失った時代でした。
そして買収劇の第2幕です。株主グループの強力な支援をうけて、ソフィーがアニェル社を買戻しました。支持する株主たちの力と豊富な資力が物を言ったことは確かです。でも最大の武器はソフィー・グレゴワールという一人の女性の「物つくり」にかける意思と能力だったと思います。2001年11月のことです。
ソフィー・グレゴワールは今、アニェル社のブランドを守るだけではなく、それをより輝かしいものに、名実ともにフランスのモード界に欠かせないものに仕上げようとしています。
アニェル社の製作現場やグランメゾンとの競演をご覧になりたい方は、アニェル社のホームページをご覧ください。
http://www.agnelle.fr